『カキじいさんのブルターニュ紀行 (フランソワ・シモンさん 編)』

2012年10月4日

カンカル滞在最終日。

フランスの新聞社、ル・フィガロの取材ということで、海を見下ろす高台に建つお屋敷を改装したホテル「Le Chateau Richeux(ル・シャトー・リシュー)」のダイニング・レストラン「Le Coquillage(ル・コキヤージュ)」でランチに招かれたカキじいさん。オリヴィエ・ローランジェさんという有名なシェフのホテル、お店だそうです。

「le restaurant Le Coquillage」 http://www.maisons-de-bricourt.com/les-Maisons-de-Bricourt/le-coquillage.php


ランチに招待してくれたのはパリの料理批評家、フランソワ・シモンさん。必ず匿名でレストランを訪問する彼は辛口、ユーモア、レストランやそこで働く人たちをつぶさに観察するのだとか。彼のブログには写真や動画がアップされ、著書のレストランガイドは圧倒的な支持を受けているそうですが、料理関係者はかなりドキドキなそうです。さて、どんな方なのか。

フランソワ・シモンさん ブログ「SIMON SAYS! JAPON」(日本語) 
カキじいさんのブログ記事(フランス語)

カンカルのカキ養殖場の見学先で待ち合わせをしていると、気難しそうな表情の男性がやって来ました。黒いコーデュロイ・スーツの襟元にはフワフワの赤いスカーフを覗かせて、何だか「いかにも!」な感じです。「ボンジュール ムシュ!」と挨拶すると、私たちには握手ではなくお辞儀をされました。聞くとこの方、日本を何十回も訪れていて、震災後も石巻や被災地を巡り、フランスでのチャリティー・ディナーでも料理人と共に働いて支援活動をしてくれたとのこと。一気に先入観がとれて、赤いスカーフにも何だか親しみが湧いてきました。


養殖場を後にして「Le Chateau Richeux(ル・シャトー・リシュー)」へ着くと、可愛いお城の門の先にある海の一望できるダイニングへと案内されました。昼時で大分込み合っていますが、お客さんの服装もごくカジュアルでとても和みやすい雰囲気です。窓の外にはモン・サン・ミシェル湾。コキヤージュとは「貝」の意味。「Le Coquillage(ル・コキヤージュ)」は、そこで採れる海の幸を中心にしたレストランだそうです。

入り口を入るなり、シモンさんのところには数人のお店のスタッフが出迎えて、とても親しげに歓談しています。あれっ!?匿名でメディアにも顔を出さない方なのに何で?っと思ったら、どうやらこの日はシモンさんの馴染みのお店で美味しいお料理を自分も楽しみにしていた様子。でも、席に着くなりワインを伺いに来る若いソムリエはさすがに緊張しきり、私たちには直立不動に見えてとても可笑しくなります。

カキじいさんに「白ワインはお好きですか?」とシモンさん。「いいのを選んでください!」とカキじいさん。緊張気味のソムリエにシモンさんが一つ二つ質問すると、少し顔を赤らめながら一生懸命説明を始める彼を見るにつけ、何だかちょっと気の毒ですが、余計可笑しくなるのでした。

綺麗なオードブルが並んだあとに出てくるのは「生ガキ」。

「痩せでんねえ、、、。」カキばあさんがカキじいさんにこっそり耳打ちます。見ると、時期がまだ少し早いためもあって日本で私たちが言う「水ガキ」(身の入りが少ない半透明のカキ)に近いものです。「日本では火を通して食べるのでもっとふっくらした物が好まれますが、私たちは生で食べる時、このぐらいの身と塩気が好きなんですよ。」と、フォークで貝柱を切り、美味しそうにカキを次々と平らげながら、白ワインを傾けます。この塩気には、やはりワインがセットなのです。


  


お料理と歓談がふと途切れた時、シモンさんが静かな声で切り出しました。「お辛いでしょうが、あの日の話を伺えますか?」

窓からモン・サン・ミシェル湾を遠くに眺め、「いいですよ。」とカキじいさん。


(以下、フランソワ・シモン 「ル・フィガロ」2012/10/20付記事より翻訳)


『カンカルと日本を結ぶ、カキ養殖業者の美しき連帯感』

食事の最中に彼が語り始めると,皆が一斉に食器をテーブルに置いた。69才の畠山重篤氏にとって、2011年3月11日の記憶は,今もなお鮮烈だ。14時46分 - その瞬間も、はっきりと覚えている。目の前によみがえる壮絶な体験を凝視するかのように、氏は視線を一点に留めたまま、語り出した。



「浜で作業をしていたら、大地が突然激しく揺れ動いた。私はすぐに、遠く離れた海底で津波が発生すると知った。50年前のものよりも、さらに大きくなるであろうことも。それは比較にならない程の規模だった。サイレンが鳴り響いた。拡声器から直ちに丘へ避難するよう指示された。私の家は、東北の気仙沼湾を見下ろす、海抜25メートルの場所に建っている。海はやがて激しくなだれ込み、すべてを持ち去ってしまった。海が恐ろしい早さで、高さ20メートルまで上るのを目の前で目撃した。私は孫を抱えて、皆と一緒により高いところへと走っていった。そして事態は治まった。いたる所から、悲鳴や助けを求める声が聞こえてきた。我が家はかろうじて建っていた。雪の降る夜、電気もないまま家で一夜を過ごした。お年寄りは車に乗せて、暖房を最大にして冷えないようにした。家の中では、若者たちが身を寄せ合って暖をとっていた。30名程が助かった。同じ状態で、十日間を過ごした。食事は毎日カキとジャガイモ。幸い病人は出なかった。」

海は、折れた材木やトタン、屋根や自動車を山のように持ち去って、引いていった。重篤氏の母親も、ホームの仲間と一緒に波にさらわれてしまった。ここで彼は首を傾げ、笑みを浮かべる。その表情からは、生存者の深い悲しみが伝わる。奇跡的に助かった者に残された、悲しみとありがたみ。それらとともに、生きることへの新たな意欲もたたえる重篤氏の瞳。これほどの惨事を乗り越えると、人間性の意味について、あらためて考えざるを得ない。国境を越えて、人と人を結ぶ絆について。

今日、畠山重篤氏がカンカル(仏・イール=エ=ヴィレーヌ県)を訪れているのは、日仏のカキ養殖業者を結ぶ、強い連帯感があってこそ。

1970年代後半、フランスのカキ養殖産業が流行病に侵され、深刻な危機にさらされた。その際、東北は宮城県のカキ養殖業者達がクラソストレア・ジガスというカキの稚貝をコンテナーで送り、フランスのカキ産業の再生を可能にした。数年後、日本を襲った大津波のニュースがフランスに伝わるとすぐに、そのお返しとして、カンカル高校をはじめとする有志の尽力で、援助体制が設置された。前例を見ない自発的な連携のもと、綱、ブイ、ダイビングスーツ、網などがカーゴ便で被災地に空輸された。

『海の祭司』

時代がどう変わろうと、世界が人間性という一つの絆によって結ばれていることに変わりはない。1863年にフランスのぶどう畑がフィロクセラに侵された際、カリフォルニアからぶどうの株が、まるで魔法のようにすばやく届き、フランスのワイン醸造農家たちは、アブラムシに強いアメリカ産の台木を使って、ぶどうを植え替えた。閉ざされた国家の枠を超えて、地域同士が支え合う例は他にもある。シリアのアレッポは、ネズミの被害に苦しむ18世紀のヴェニスに、物怖じしない性格で知られるソリアノ種の猫を、幾隻もの船で送り込んだ。最近では、中国の四川州で絶滅の危機に瀕したウサギを救うため、フランスから15万頭のウサギが送られた例もある。

今回はカンカルのカキ養殖業者たちに、ルイ・ヴィトン ジャパンの協力も加わった。かの有名なマルティエとその会長イヴ・カルセルは、三年間に渡る畠山氏の事業サポートと、資金援助を決定。五代目当主パトリック-ルイ・ヴィトン氏も賛同。指揮者専用のタクトケースから歌舞伎役者の化粧ケースまで、ルイ・ヴィトンスペシャル・オーダーを担うパトリック氏は、ブルターニュと日本をこよなく愛することで知られている。氏は今回の企画が、分野は異なれど、同じ職人を結ぶ連帯感に根ざしていると理解。河口の水質を改良することと、大型トランクの角を馴染ませることと、スタンスはさほど変わらない。

ヴイトン社はこれまで、小諸市の森を守る坂本龍一の運動にも賛同している。そしてこの度のわが「海の祭司」、畠山重篤氏のメッセージに皆が一気に士気高揚。はて、「カキじいさん」のあだ名で知られる氏のメッセージとは?森は海の恋人である。1989年に「森は海の恋人」運動を開始、英語で「The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest (森は海を求め、海は森を求める)」と訳した。当時気仙沼の河口で赤い泥にまみれたカキを見て、悔し涙を流した。そしてその原因について調べた。地元の科学者の協力を得て、何故雪が降らないとカキの味が今ひとつなのか、その理由を突き詰めた。調査の結果、山や森から流れてくる河の水に含まれる栄養素が、プランクトンの質に大きく影響することが判明。プランクトンにはフルボ酸鉄が欠かせない、そしてこの栄養素は森の腐葉土に含まれているのだ。

彼は現場に全力を注いだ。自身と母親の貯金をはたいてまで。地元の生徒を大勢動員し、森にブナ、楢や桂などの木を植えた。20年後、海は美しい青色を取り戻した。大川は付近でもっともサケが上る川になった。現在、日本では海に面したすべての県で、漁師による植林活動がおこなわれている。畠山氏はこの題材を扱った絵本も発表しており、つい最近フランス語に翻訳された。「子供たちの心に木を植えられたらと願い、書いたのがしげぼうという少年と、カキじいさんの物語です。しげぼうとは私が幼い時の呼び名であり、かなり自伝的な物語です。私はすべてをカキに教わりました。秋、カキじいさんの前を通って、北の湖からサケが卵を産むために川を上がっていきます。アラスカ海、ベーリング海オホーツク海の情報をカキじいさんに伝えます。上流の川で生まれたサケの子供は川を下り、またカキじいさんの前を通って北の海に旅立ちます。」

 
「カキじいさんとしげぼう」(フランス語版) (文・畠山重篤、絵・徳田秀雄、訳・プズー紫麻、出版協力 ルイ・ヴィトン・ジャパン)



『同じ波』

やわらかい瞳とモジャモジャ頭の重篤氏は、まるで海神といった風貌だ。今年、国連のフォレストヒーロー賞も受賞した。皇室に招かれて、自らの活動について発表するという、日本人にとってはこの上ない名誉な機会にも恵まれた。美智子皇后はすっかりファンになり、時折畠山氏を皇居へお茶に誘うほどだという。

今回のブルターニュ旅行では、地元の同業者たちと経験を照らし合せる貴重な機会を得た。お互いに海と共生し、漁業を営み、海をこよなく愛し、時には憎む、同じ仲間なのだ。突然膨張し、一気に獲物を持ち去ることもある、海。かの偉大な葛飾北斎(1760年-1849年)の作品にも、予期できぬその波は、描かれている。運命を素直に受け入れる漁師たちの心境は、北斎の絵にも通じる。カンカルの有名なシェフ、オリヴィエ・ローランジェ曰く「ケルト文明には、神道思想に近い考え方が見受けられる。人は毎日、朝とともに生まれ、夜とともに死す。底知れない深い海や、謎に満ちたこの世界に対して、両者は抵抗なく、ありのままを受け入れる心を持っている。」ブルターニュ北部や南部の漁師たちも、これと似た心境だと言う。氷の嵐に襲われれば、500トンものコック貝が、一瞬にして失われてしまうこともあるからだ。

重篤氏は、カキを実と汁ごと一気に飲み込んだ。自然界の厳しい法則はその瞬間、絶え間ない再生の営みを垣間見せる。殻の向こうから彼の視線がこちらに向けられる。その瞳は貝の真珠層と一体になり、美しい輝きを放つ。

日本語では「人の目」をさす言葉と、「釣網の目」をさす言葉に、同じ「目」の文字を使うのだそうだ。

フランソワ・シモン

(終)


モン・サン・ミシェルより湾を望む

※次回は「親愛なるパトリックさん 編」です。

文・写真 畠山耕