一朶(いちだ)の雲

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年が明け、今年もカキじいさんの放浪の旅が始まりました。

まずは四国の松山からです。


NHKテレビの連続ドラマ「坂の上の雲」の主人公、秋山好古、真之兄弟、正岡子規の故郷です。

もともと夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台としてメジャーな観光地ですが、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」のテレビドラマ化で、ご当地は湧きに湧いていました。

カキじいさんはこのドラマのことを知らなかったため、初めは何の騒ぎかと不思議に思いましたが、帰宅してからママが録りためたビデオをみると、とてもよくできたドラマで驚きました。


そんなことからか、松山空港や駅の売店も「坂の上の雲」一色です。お土産物も小説にちなんだものがほとんど。

その中で、おやっ、と目につくお菓子の名前がありました。

「一朶の雲」。

昭和四十四年三月に記された「坂の上の雲(一)」の後書きにある、あの有名な件(くだり)に出てくる言葉です。


「登ってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登ってゆくであろう」


このナレーションでドラマは始まりますが、何故か聞いているだけで不思議にわくわくしてきます。

この「朶」(だ)は、空を流れる雲を数えるときの単位で、一筋の雲、という意味ですが、普段の生活にはめったに出てこない字ですよね。

でもカキじいさんにとってこの字は、子どもの頃から慣れ親しんだものだったのです。


カキじいさんは男三人兄弟の長男で、子どもの頃は男の子三人が一つの部屋に「川」の字になって寝ていました。

毎朝目が覚めると、私たちの目には真っ先に「朶」の字が目に飛び込んできます。その部屋の壁に飾ってあった大きな額に「一朶報春」と書かれてあったためです。

今も我が家の座敷に大事に飾ってありますが、「朶」を「だ」と読めたのはだいぶ大人になってからです。

試しに、孫たちに読ませると「ノギ!」という答えが返ってきました(笑)。

この「一朶」は花の一枝の意味で、文字通り解釈すれば「一枝の花に春の知らせを感ずる」という意味です。この額書の書かれた背景には何やら深い意味があるようなのですが、そのエピソードはまた次の機会に。


この額書を残したのはカキじいさんのおじいさん、カキひいひいじいさんの清重です。

カキひいひいじいさんは明治二十二年生まれですが、三陸の寒村から当時としては遥か遠くの九州、熊本五校(旧制高等学校、現熊本大学の前身)へと進学しました。

五校と言えば、夏目漱石小泉八雲ラフカディオ・ハーン)も先生を勤めていた、当時のナンバースクールです。

卒業後、三陸に戻り、昔の唐桑村(現気仙沼市唐桑町)の村長などを勤めましたが、その雅号は「如雲」というものでした。

明治の気質、はたまた自由人の人柄を表したかったのでしょうか。

司馬さんは、坂の上に流れてゆく一筋の雲に喩えて、この国の理想の形に向かって生きた明治という時代の志や隻眼、葛藤を描きました。

貧しい寒村のこの地に居て思い描いたであろう、この地の理想の形。

カキひいひいじいさんの『雲』にもそれが薄っすらと見えるような、そんな気がするのです。



さて、「一朶の雲」というお菓子を見つけたとき、若い店員さんに思わず「この名の由来は?」と問うと、分かりません、、、とのこと。

、、、松山商工会議所は、商店街の店員教育をちゃんとすべきだなっ!

そんな余計なことを考えてしまったために、肝心のお菓子を買うのを忘れてしまったのが心残りの松山行でした。

畠山重篤



沖に浮かぶ雲の上に朝日が昇ってゆきます(唐桑半島)