教室に翻った大漁旗

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八月十八日に「海なし県の先生のため息」というタイトルで記しました。

岐阜市立陽南中学校の社会科の先生が舞根(もうね)湾に取材に来られたお話です。

今春、「海なし県」岐阜で初めて「豊かな海づくり大会」が開催されたこともあり、公開研究授業のテーマに“森は海の恋人”を取り上げたいということでした。

資料にと、牡蠣や帆立などの貝殻、なぜか大漁旗なども貸し出しました。

十一月六日がその発表当日です。

うまい具合に、京都大学での講義がその日でしたので、岐阜にちょっと立ち寄って、見学させてもらうことにしていたのです。


九時半からの授業というので京都駅を朝早く出発して、岐阜羽島駅名鉄に乗り替え、岐阜駅へ。タクシーで陽南中学校へ到着です。

大勢の先生方が集まって、すごい熱気です。

校長先生がカキじいさんの著書の愛読者だったこともあり、喜んで迎えていただきました。

社会科担当のG先生は、緊張して顔がこわばっています。教員にとって公開研究授業は試金石となる関門なのだそうです。


教室に案内されると、廊下まで先生方が溢れています。G先生は岐阜県中学社会科教員では名の知れた存在だったようです。


驚いたことに教室はぐるりと「水山(みずやま)丸」「あずさ丸」「貝浜(かいばま)丸」などの大漁旗で飾られているではありませんか。

“山に翻った大漁旗”は新聞の見出しで有名になりましたが、“教室に翻った大漁旗”もなかなかのものです。


ふと見ると、なんと黒板にカキじいさんの大きな写真が貼ってあるではありませんか。これは予想外。生徒たちに知られないように、一番奥の方に縮こまっていることにしました。


岐阜県の教室で頻繁に「気仙沼」の地名が出てくる授業は、何だか不思議な感覚です。

岐阜市内を流れる長良川が、そことは遠く離れた伊勢湾の生物生産と大きな関わりがあること。流域の人びとの意識の中に森里海の繋がりが芽生えることがいかに大切か。

生徒たちは十分に学べたようなので、カキじいさんも一安心です。


海から遠く離れた地の子供たちに、海まで視野に入れて物事を広く考えるという意識を、教室の授業の場で持たせるというのは思っているよりも困難なのです。

G先生の努力に、聴講した先生方から大きな拍手が上がりました。


最後に、「実はカキじいさん本人が見えてます!」の大どんでん返しです。

驚きに満ちた生徒たちの顔、顔、顔、、、、。

「これがあるから教員稼業はやめられません!」G先生の喜びの声です。



実はその後、もう一つドラマがありました。


ああよかったと安心して岐阜駅に戻り、名古屋駅行きの電車に乗りました。コーヒーを買おうとしてポケットに手を入れたら、なんと財布が見当たらないではありませんか!

思い当たるところに問い合わせてみましたが、見つかりません。

カードの時代ですので、現金は大したことはありません。慌ててカード会社に連絡。

こんなことは初めてです。

家族からは「もう歳ですね、物忘れがひどくなったんじゃないの?」とからかわれる始末。

ところが日曜日になり、岐阜南署から電話があって、なんと財布が届いているというのです!


翌日引き取りにまた宮城から岐阜へ、、、。お礼をしようと拾った方の名前を問いますと、「当然のことをしたまでと名乗りませんでした」というのです。



財布には往復の交通費に足りない金額しか入っていなかったので赤字でしたが、一連の岐阜の旅でカキじいさんの心は大きな黒字となったのでした。

畠山重篤


カキじいさんの散歩道“汽水の路”(舞根湾)