奥の細道「オイスターロード」説

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猛暑にはウナギが定番ですが、実は「牡蠣」こそが本命であることをご存知でしょうか。

六年前、前出(2010/7/7 「井上ひさしさんの思い出」)日経新聞編集委員 土田氏から、平成の芭蕉となって奥の細道全ルートを百四十二日かけて忠実に歩く、という連絡がありました。

もちろん仕事で旅行記を連載することが条件だそうです。


白河の関を超え仙台に入り、松島、石巻、平泉の途中、是非、気仙沼に寄るようにすすめました。
牡蠣を食べさせたかったからです。

牡蠣好きの氏は、松島、石巻でしこたま食していました。

我が家でも大きな牡蠣を十個ペロリと平らげました。氏から行程図を見せられて私は思わずハッとしました。奥の細道ルートは、実はオイスターロードだと知ったからです。

特に日本海側は「象潟や雨に西施がねぶの花」の地で、岩牡蠣の大産地です。しかも夏は岩牡蠣の旬ではありませんか。

山形、新潟、富山、石川は山脈から多くの川が日本海に注ぎ込み、河口には必ず岩牡蠣が育っているのです。

芭蕉伊賀上野の出で、隠密説もあります。旅する行程にどんな食物があるのか、とっくに情報を集めていたに違いありません。おにぎりと梅干だけでは、夏の旅は持たないことを熟知していたはずです。


土田氏にも、とにかく牡蠣を食べるようにすすめました。


富山に行く機会があったので、直江津で降り、駅前の宿で氏と落ち合いました。

「畠山さんの言った通りです。特に新潟から富山までは単調な道が続き、日陰がなく、ほとほと参りました。あきらめかけたこともあります。何とか体がもったのは、機会があるたびに岩牡蠣を食べ続けたからでしょうね。」
真っ黒に日焼けした顔で、氏はうれしそうにそう語ってくれました。

そう、牡蠣のグリコーゲンこそ名作「奥の細道」が世に出た根源ではなかったか。
土田氏は百四十二日間、一度も伏せることなく歩き通したのです。


連載も好評で、とうとうパリからピレネーを超え、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の路を歩く企画も、その後獲得したのでした。

もう定年退職されましたが、会社の旅費でこんな面白い旅をしたのは私だけでしょう!、と笑っています。



さあ、岩牡蠣のグリコーゲンで皆さんもこの猛暑を乗り切りましょう!


畠山重篤


たっぷりのグリコーゲンでこの猛暑を乗り切りましょう!