小田原と鰤
十月二十日から二週間、大学での講義やシンポジウムの出席などで、関東、九州、北陸を駆け巡っていました。
まず始めは、小田原でローカルサミットというイベントです。三年前から始まったもので、様々な経験、体験を持つたくさんの“変人”達(失礼、、、)がボランティアでその地に出向き、実際に見聞して意見を述べ合うという趣旨です。(三百人以上も集まりました。)
カキじいさんは「いのちが巡る環境」というセクションのパネラーです。
小田原と言えば、かまぼことか干物が有名ですよね。でも、ここは全国有数の定置網漁場なのをご存知でしょうか。大きな産地市場もあります。
朝五時に起き、魚市場の競り(セリ)を見学に行きました。定置網船が次々に水揚しています。その朝はソウダガツオが大漁でした。船が沈みそうなほどの大漁です。
でも、気仙沼魚市場に水揚される本ガツオと違い、小型で刺身商材にはならないのです。価格が安く、加工品向けに販売されていました。
定置網は設置するのにかなりのお金がかかります。「採算はスレスレです、、、」と、漁師は浮かない顔です。
「鰤(ブリ)さえ取れれば何も問題ないのですがねえ、、、」と異口同音につぶやいています。
実は、昭和二十九年頃まで、小田原は日本一の鰤漁場で、なんと十二月から三月にかけて六十万匹も獲れていたのだそうです。
今、それだけ獲れたら百億円は軽いというのですから、すごいですよね。
小田原は、箱根という年間二千万人が訪れる観光地を控え、東京、横浜、川崎という大消費地のすぐ近くで立地にも恵まれています。
水産試験場の職員の方に、定置網漁場に案内していただきました。
漁場が、陸地からわずか七百メートルも離れていない、すぐ近くです。
街並みのむこうに、丹沢の山々がはっきりと見えます。私はそれを見て直感しました。
かつて湘南の漁師たちは、初夏、カツオが乗ってくる潮のことを『青葉潮』(あおばじお)と呼んでいました。丹沢の山々の緑が濃くなってくると、カツオがすぐ近くまで来るので、そう表現したのです。
「、、、ところが、太平洋戦争で丹沢の森の多くが切られてしまった。森がほんとうに復活しないうちは、魚が寄り付かないんだよ、、、。」
話を聞いた漁師たちは、そう語っていました。丹沢の広大な森は「大魚付き林」だったのです。文字通り「森は海の恋人」の世界がそこにはあるのですね。
しかし、ここにもう一つ問題が横たわっています。
相模湾に注ぐ相模川、酒匂川の上流はいわゆる「ダム銀座」なのです。せっかくの丹沢の森のフルボ酸鉄が海に届かなくなってしまっているではありませんか。
しかも、川から砂が供給されませんから、沿岸は浸食されてテトラポットの山、山、山です。
「海辺のコンクリートの壁が白っぽいため、それが海に反射すると魚が逃げてしまうのです。だから、緑のペンキを塗っているんですよ、、、。」
絶句です。
九月には大雨があり、ダムの大放水があったそうで、倒木が海に流れ込み、定置網が破られるという被害がありました。
ところが二週間後、キワダマグロの大漁があり、一朝で一千万円の水揚げがあったのです。
海が豊かになれば、小田原の活性化は正に「あっ」という間なのです、間違いなく。
そんなことを考えながら、若い市長さんにお会いしました。お伝えしたいことがたくさんありましたが、今回は口をつぐんで拙著『森は海の恋人』をお渡しすることにしました。
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