金木犀の香り
初めて中秋の京都を訪ねたのは何時だったでしょう。
カキじいさんも年と共に老い耄(ぼ)れてきて、記憶が怪しくなってきました。
京都大学や国際日本文化研究センター(日文研) に関わるようになり、年に何度か京都を訪れるようになりましたが、一番好きな季節はなんといっても中秋です。
金木犀のシーズンだからです。
京都大学へ行く時は地下鉄今出川駅で降り、今出川通りを大学まで歩くことにしています。
同支社大学の前を通り、鴨川大橋を渡り、知恩寺前の百万遍交差点を過ぎると、左手に農学部と理学部の門が見えてきます。
京都はどこに行っても金木犀の木があり、中秋はその香りに包まれているのです。
赤黄色の小さな花に鼻を近づけてもあまり匂いはしませんが、離れて風が通り過ぎると、何とも言えない香りが漂います。
別れの美学を感じさせる、そんな香りでしょうか。
この季節の「哲学の道」も好きですね。
三陸のわが家にも一本、この木があります。小高い丘の上に家が建っていて、坂を上りきった左手に、土手にしがみつくように植えられています。
今年は暑かったせいでしょう、黄色の花がいっぱいに咲き、家の中まで香りが届いています。カキじいさんは京都に行っているような気分になり、うっとりしてしまいます。
ところが、我が家の三十代の三人の住人は、どうもこの香りを佳し(よし)としていないようなのです。
それは子どもの頃、トイレの消臭剤の匂いがこれだったから、というのです。
せっかくの香りが何とも風情のない言われ様です。
もっとも、三頭のラブラドール達が散歩の時に放つアンモニア臭がふわふわと漂って来た時は、そんな匂いと言えなくもないのですが。
そう言えば、子供たちが育った頃、まだ家のトイレは水洗になっていなかったなあと、ふと思い出しました。
人間の記憶の中で、匂いはかなり強烈だと心理学者から聞いたことがありますが、もし中秋の京都であの馨しい香りにふれたなら、街の風情と相まって、きっと彼らの感想も変えてくれることでしょう。
海辺の丘に咲く金木犀は、今日もリアスの浜風にのって清々しく香っています。