科学者と詩人

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二年前の平成二十年、「森は海の恋人 植樹祭」がニ十周年を迎えました。

記念の小冊子を作ったのですが、安田喜憲先生(「米と魚の文明」ご参照 )がメッセージを寄せて下さいました。

全文をご紹介したいと思います。


「科学者には詩人の心が必要である。科学者と詩人、一見かけ離れたかに見える二つの事柄は、深い関係を有していた。"森は海の恋人"という言葉は、気仙沼の美しい風土が生み出したものに他ならない。

 人間は、風土との関係において新たな感性を養うことができる。その風土の語るものを敏感に感じとることができる感性がなければ、もちろん詩など書けないし、優れた科学者にもなれないのである。

 創造の原点をどこに求めるかは、時代の精神が大きく関わる。『ベートーベンの第九シンフォニー』は、天を志向する人間のみの歓喜に満ちたものだった。それは十九世紀の近代ヨーロッパで花開いた人間中心主義の物質エネルギー文明の精神の極致だった。

 二十一世紀の新たな物語は『生命の物語』で幕を開ける。

 気仙沼湾の生きとし生けるものの命が輝く世界を表現した畠山さんの『かきじいさんとしげぼう』 はその新たな生命の物語の始まりを予告する作品だ、と拙著『一神教の闇』で書いた。

 ベートーベンと畠山さんを同列に評価したのはこれが初めてである。

 森は海の恋人 植樹祭は、ベートーベンの音楽以上の芸術活動としてますます発展するだろう。」


As the forest sighs for the sea , the sea yearns for the forest . Eternal threads of love are spun.

「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」 (熊谷龍子)


この美しい言葉が表現する「命の物語」は、百年後の世界に生きる人々にどのように受け止められているのでしょう。



孫たちにも、この話をしてみました。すると、「そういえば音楽室に飾ってあるベートーベンの写真、おじいちゃんのボサボサ頭がよく似ているねえ!」

そういう意味じゃないの、、、、、これにはギャフンです。



このエッセイを書いていると、ちょうど郵便が届きました。カキじいさんが今年から入会した日本ペンクラブ からです。

国際ペン東京大会 が今秋、開催されていて、その記念に「環境文学百選」を選出するという事業があり、その報告が届いたのです。

部門1 「小説、物語、戯曲」

部門2 「児童文学」

部門3 「評論、評伝、哲学、思想、日記、ノンフィクション、エッセイ、紀行」

という幅広いジャンルです。


その部門3に、安田喜憲先生の「森と文明の物語 −環境考古学は語る」ちくま新書) 、カキじいさんの「日本<汽水>紀行」文藝春秋) が共に選出されていました。




十月に入り、三陸リアスは日に日に秋深まり、いよいよ牡蠣の水揚げが始まりました。
さあ、今夜は牡蠣と白ワインで安田先生の分まで乾杯するとしましょう。

畠山重篤


秋深まり、いよいよ牡蠣の水揚げが始まります(舞根湾、秋の朝)