京大ポケットセミナーにて(後編)

mizuyama-oyster-farm2010-09-03

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頭で考えていただけでは本質には迫れません。それが自然科学だと思います。


まずは海に親しんでもらおうと、あずさ丸に乗船させ、櫓(ろ)を漕がせることにしました。
京都から取り寄せた柿渋を全身にまとって、お化粧直しをしたばかりの船体は水面の光を受けて、緋に輝いています。

保津川下りの船より立派やなあ!」と驚く声。

白山教授が、東京大学水産学部では入学すると櫓漕ぎが必修なんだ、とスイスイ漕ぎだしました。頭でっかちの先生だとばかり思っていましたが、若いころは一年の半分以上は船に乗っていたというのです。学生たちも、はじめは「へっぴり腰」でおっかなびっくりしたが、だんだんと上手になってきます。

風もなく鏡のような水面をあずさ丸が静かに進みます。「時代劇に出ているようや、、、」と自らの情景に浸っているようです。


釣りをしたことがない、というのはなんとも寂しい話です。特別に船着場の桟橋のメバルを釣らせることにしました。
ここは孫専用の釣り場と決めているので、いつもは大人の釣り人は出入り禁止なのです。


分厚い眼鏡の文学部が「あっ!引いてるっ引いてるっ!」と慌てた様子でテグスを手繰っています。見事に初体験です。他の人も次々と釣り上げました。

傍では我が家の黒いマスコット犬(オイスタードッグと呼んでいます)が、あくびをしながらその様子を眺めています。

「明日の朝食はメバルの塩焼きか!夢の様だね、、、」と大喜びです。



翌朝は気仙沼湾に注ぐ大川河口から、川をさかのぼって上流の山に行き、植林することにしました。

その前に、まず宝鏡寺というお寺にある歌碑を見に行きます。気仙沼が生んだ歌人、熊谷武雄の代表歌が刻まれているのです。


  手長野に木々はあれどもたらちねの柞(ははそ)のかげは拠るにしたしき


気仙沼の背景に広がる手長山には色々な木がありますが、ははそ(柞、ナラやクヌギの古語)の林に分け入りますと、お母さんの傍に行ったようで、心が休まります、、、という意味です。

「つまり、昔の人はナラ、クヌギなどの落葉広葉樹の森を自然界の母になぞらえていたのですね」彼らに説明しますと、素直に聞き入っています。


河口に広がる気仙沼湾の風景、大川の清流、そして最初に植樹した室根山に登り、「二十一才」になったブナやミズナラを見せました。背丈の何倍にも大きく育ち、吹き抜ける爽やかな風に、その幅広の葉をゆさゆさと揺らしいます。

そこからは、かすかに気仙沼湾が見えるのです。

「森、里、海は一つ、森は海の恋人という意味が解りますか」と問うと、遠くの風景を見つめながら、大きくうなづいています。

日本は真ん中に脊梁山脈の森があり、そこから日本海と太平洋に二万一千本川が注いでいます。だからどこに行っても、日本は海藻、魚介類が取れるのです。塩水だけでは海の幸は育ちません。

「森里海をちゃんと整えれば日本は食料に困らないのです。」

彼らは、今朝、自分たちで釣ったメバルの塩焼きと、地元米の美味しいごはんをお腹一杯食べてきましたから、そのことがよく理解できるのです。


それから、今、植樹している山に移動し、用意していたポット苗を植えます。植樹はもちろん「柞(ははそ)」(ナラ、クヌギ)です。

「長年、海の生物を研究していて、山に通うとは思ってもみなかったな」東大水産学部卒は笑っていました。

俄然、力をはっきしたのが林学のOさんです。男子顔負けの腕力で唐鍬を振り下ろし、穴を掘って次々に苗を植えてゆきます。
「ここに植えた木が海の幸を育むなんて想像できませんでしたが、実感が湧きました」、と満足げです。

「ようし、ここを“京大ポケゼミの森”と名付けよう!」白山教授は力強く宣言します。

柞の森とそこから流れ出て里を潤す大川、そして流れ至る気仙沼湾を遠くに望みながら、学生たちがそれに応えます。




さて、このリアスの森と川と海は、この夏、彼らに何を語りかけてくれたのでしょうか。

彼らの今後がとても楽しみでなりません。


畠山重篤


暑さを惜しんで暮れる里の夏空