森の神と海の神
地表に水満ちるまでの刻想う
杳い時間と誰か呼ぶべき
夜も明けやらぬ気仙沼湾口で、肌を突き刺す冬の季節風を真正面に受けながら、遙か彼方に見え隠れする霊峰室根山に向かって手を合わせている白装束に身を固めた漁民の姿があった。やがて、小船の魚槽(かめ)の中から取り出した、花瓶のような竹筒に海水を汲み、もう一度、うやうやしく山に手を合わせると、舞根(もうね)の港を目指して船を静かに進めた。白装束の漁民は、これから始まる室根神社大祭の、清めの海水を汲んでいたのである。
今から遡ること、ほぼ千二百七十余年(養老二年)、紀伊の国(和歌山県)牟婁郡(むろぐん)湯浅の港を熊野神の分霊を乗せて出港した小船は、黒潮に乗って宮城県唐桑町舞根に漂着した。御神体は、やがて約二十キロ北に聳える、岩手県牟婁峯山(室根山、むろねやま)に安置され、以後、室根神社として、この地方の人びとの信仰を集めるようになった。閏年(うるうどし)の翌年の旧暦九月十九日、大祭が行われ、千二百七十余年の間ほとんど中断されることなく、祭りの行事が続いているのである。
室根山を中心に、岩手県大東町、千厩(せんまや)町、室根村、川崎村、大船渡市、さらに、宮城県気仙沼市、唐桑町にまたがる広い地域に、祭りの役割を担う四百人に及ぶ神役と呼ばれる人びとが、世襲で、それぞれの役割を引き継いでいる。
祭りは未明の海に出て海水を汲むことから始まる。竹筒に汲まれた海水は神前に捧げられ、御神体を海水で拭き清めてから、神輿(みこし)は神社を出発する。つまり、舞根の海水が到着しなければ、祭りは一歩も動き出せない。古人はこのような形で、森と海とを結び付けていたのだろうか。
畠山重篤著(短歌 熊谷龍子)「森は海の恋人」(文春文庫)
第六章『山に翻った大漁旗』より抜粋
- 作者: 畠山重篤
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