芭蕉布(ばしょうふ)の里

mizuyama-oyster-farm2010-08-25


カキじいさんの部屋の窓から、背丈の三倍はありそうな楕円形の緑の葉が風に揺れているのが見えます。「芭蕉」の葉です。今年は暑いので育ちがいいようです。


芭蕉と言ったら沖縄とか奄美大島とかに生える南国の植物ですよね。でも、これが生えているのはカキじいさんの家から五十メートルほど離れた舞根(もうね)湾の対岸です。


カキじいさんが子供の頃、この地区にはまだ自動車の通れる道がなく、気仙沼の町へ行くのは巡航船でした。気仙沼水産高校(現気仙沼向洋高校)に通っていたカキじいさんも毎日この船で通学していました。船が着くのは、この芭蕉のある家の前の岸壁でした。

冬には枯れてしまって姿が見えなくなるのですが、夏になるとあっという間に大きくなって、その大きな葉を海辺の風に揺らし始めます。

大人に問うと、たぶんバナナの木だろう、でも冬は寒いからバナナは実らないんだろうという話で、ずっとそういうものか、と思ってきたのでした。


気仙沼水産高校を卒業すると、すぐに家業の牡蠣養殖の仕事に就き、お父さんと一所懸命働きました。そんな私も六十を過ぎ、孫も生まれ、文字通りカキじいさんとなりましたが、それまでずっと気になっていたのが「牡蠣に特化した本」がないということでした。本屋さんに行って水産関係の棚を見ても見当たりません。東京駅に近い八重洲ブックセンターを見てもないのです。

東北大学の先生か、河北新報などの関係者が書いてくれるはずだと待っていましたが、一向にその気配がありません。

お父さんから、「牡蠣養殖の父と慕われている人は、沖縄出身の宮城新昌という方で、北上川河口の万石浦(まんごくうら)で事業を立ち上げ、その技術を開放して漁民に教えた偉い人だよ」、という話は聞いていました。


万石浦に行っ折、それとなく聞いてみると、もう長老が亡くなって昔のことを知っている人が少なくなってきている、というのです。

そこで意を決して、生産者であるカキじいさんが牡蠣の本を書いてみよう、となった訳です。



六年前、この本の取材のため、初めて宮城新昌の故郷、沖縄を訪れました。宮城新昌の郷里は北部の大宜味村塩屋(おおぎみそん しおや)という所です。なんとそこは芭蕉布芭蕉の葉から採った繊維で織った布、別名蕉紗)の故郷ではありませんか。

芭蕉は沖縄ではありふれた木ですが、バナナが実るのは実芭蕉、布にするのは糸芭蕉だというのです。

琉球王朝時代、芭蕉布は庶民でも着ることができる数少ない布だったそうで、柔らかい糸を使った艶やかな布は、手の込んだ染色を施され、国王の正装となり、徳川将軍家にも献上されたということです。


大宜味村貴如嘉(きじょか)というところに行ってみますと、一面の芭蕉畑がザワワ、ザワワと東シナ海をわたる風に唄っています。

思わず我が故郷、舞根湾の海辺の風にそよぐあの芭蕉の風景を思い起こさずにはいられませんでした。

あの芭蕉はカキじいさんの幼い頃には既にありましたから、もう百年以上も三陸の海辺でそよぎ続けているのです。宮城新昌が牡蠣養殖のきっかけを得た渡米が明治三十八年(1905年)ですから、百五年前です。



「牡蠣礼讃(かきらいさん)」と題した原稿用紙に向かいながら、リアスの風にそよぐその風景を眺めては、あの芭蕉は牡蠣養殖の歴史をあそこでずっと見守り続けて来たのだ、そう思うとなにやら不思議な縁を感じるのでした。

畠山重篤


百年の歳月を経て尚、静かに舞根湾を見守り続ける芭蕉



牡蠣礼讃 (文春新書)

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