盛岡 下橋中学校

mizuyama-oyster-farm2010-07-15

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夏を迎えるとカキじいさんは本業以外のことで忙しくなります。

体験学習のシーズンだからです。


海をきれいにするには、その海に注ぐ川をきれいにしなければなりません。

でも川の流域には人間の生活が横たわっています。川の流域に暮らす人々の心に木を植えることが大切だと気が付いたのです。

そこで、我が気仙沼湾に注ぐ大川流域の小学生を海に招き、森と川と海はどのように繋がっているか、難しく言えば、人間の存在とは何か、というようなことを教える体験学習を開始したのです。

二十年前の平成二年から始め、今まで一万人の子供たちが舞根(もうね)湾を訪れています。


先週、岩手県盛岡市の下橋(しものはし)中学校三年生八十人を受け入れました。平成八年から受け入れていますから、もう十四年になります。

下橋中学校は明治二十年開校、今年で創立百二十三年の伝統校です。石川啄木金田一京助、米内光政、他、多くの人材を世に送り出しています。

環境教育に熱心なことから、カキじいさんが行っている活動に共鳴し、十四年前から訪れるようになったのです。


盛岡からまず、「森は海の恋人植樹祭」の植林地である岩手県室根町の「ひこばえの森」に来ます。ここは気仙沼湾に注ぐ大川の源流部にあたります。

県境の地ですので、森は岩手県、そこから流れる川の行き先は宮城県です。岩手県の学校が宮城県の海に学習に訪れること自体、縦割行政の中では画期的なことでした。

ブナ、コナラ、ミズキ、ヤマボウシ、ムラサイシキブなど四十種もの落葉広葉樹の苗を植える体験をします。毎年植えた人の名札が付いていますから、先輩たちの植えた苗が大きく育っているのを目の当たりにすることができるのです。

でも、その地は海から二十五キロも離れていますから、木を植える意味の本質は理解できていないと思います。


その晩、海辺の国民宿舎に泊まりますが、夕食後、カキじいさんにその意味を九十分講義をしてほしいと請われました。

そこで、リアス式海岸とはどのような地形なのかから始まって、自然界のメカニズムを説明しました。疲れているから居眠りするのかなと心配しましたが、熱心に聞き耳を立てているのです。カキじいさん著「リアスの海辺から」を事前学習してきているのだそうです。

質問タイムもありました。次々に手が上がり、カキじいさんはへとへとです。



翌日、目を輝かせて海にやって来ました。水槽にヌルヌルとしたアメフラシを用意しておき、手で触らせました。
手に持たせると、紫の液をドロドロと出します。毒はないのですが気持ちのいいものではありません。キャーッ、ワーッ、コワイッ!、、、海辺は大騒ぎです。


カキじいさんは三十八人乗りの大型和船二艘を持っています。「あずさ丸」です。四丁の櫓で漕ぐ本格的な木造船です。

あずさ丸でカキ養殖の筏に連れて行き、説明した後、「牡蠣を食べたい人?」と問うと、全員が手を挙げます。「カキってこんなにおいしいものなんだ、全然クサクない!」とツルツル啜りこんでいます。

内陸部の生徒たちが牡蠣の味に親しんでいるのを眺めるのはとても嬉しいことです。思いっきり海を楽しみました。


最後に整列すると、お礼に合唱をしますと歌いだしました。

本格的な混声四分合唱です。カキじいさんも若い頃、小さな合唱団のテナーとして鳴らした(?)ものです。毎年これを聞くのを楽しみにしています。

ウミネコイソヒヨドリなどの鳥たちの声をバックに合唱曲が舞根湾にこだましてゆきます。

神妙な顔で聞いているのが、体験学習を手伝ってくれている漁師のおじさんたちです。
カラオケで「親父の海」や「兄弟船」などを唄わせたら大したものですが、どうやら勝手が違うようです。
でも、三曲目になると笑顔が戻ってきました。混声四部のハーモニーの美しさを感じ始めたようです。


カキじいさんの海にはこうしてさまざまな人々が訪れ、思わぬ交流が生まれています。



毎年、下橋中学校体験学習を終えると、リアスの海辺も夏本番となります。

畠山重篤



牡蠣の養殖筏に住み着いた様々な生き物たち
(汽水の生物の多様性は上流の豊かな森と川が支えている)


リアスの海辺から―森は海の恋人 (文春文庫)

リアスの海辺から―森は海の恋人 (文春文庫)

リアスの海辺から

リアスの海辺から