2012/06/30

慰霊祭。

おばあちゃんが逝った気仙沼湾の河口の介護施設が解体される。

津波翌日、舞根峠と瓦礫を乗り越えて親父と着いたらでっかい船が川に上がってで、鹿折は火の海。炎と重油の煙と津波を避げで、たどり着いた先の施設には、六十人ほどが二階の二部屋にぐぢゃぐぢゃに積まれていだっけ。

おばあちゃんの介護靴に名前を書いたのを思い出し、靴を見ながら必死に探して一時間。おばあちゃん、御免なあ。冷たい思いをさせでしまったなあ。

顔の泥をポカリスエットで拭いで、担いで連れで帰れない悲しさに、涙が止まんねえんだ。

建物の中に残ったがら、火葬もができたし葬式も挙げられた。今も見つからないひとだぢにしてみれば、有難い限りなんだ。

こごも、もう少しでなぐなるよ。やっと始まったカギの出荷の途中、車で通るたんびに、その日あった事を話かげできたげんとも、それも今日でやめっからね。

おばあちゃん、まだね。



気仙沼でうまい魚を喰わせる店で有名だった福よし。津波に流されて、前の店は今は跡形もないけれど、近くに現在、おんちゃんが再建中。目の前の囲炉裏で一本一本、焼き職人が焼いてくれる魚は、うんまがったなあ。
新しい店のテーブルにするため、流された舞根の古民家の古材を挽いて欲しいと、煤でいぶされたでっかい梁を持ってきた。
舞根の家の材を舞根で挽いたテーブルで、舞根の牡蠣を喰う。
んっ、引き受けた!おんちゃん、待ってらいよ。うんまい牡蠣ば持っていぐがら、まだうんまい魚ば焼いでけらいんよ!