鯛の森

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十二月初め、広島、下関、高知県四万十町と、旅が続きました。

どこに行っても、まるで待っていたかのような出会いがあり、いつも不思議に思っているのです。


まずは広島県神石町に行きました。新幹線福山駅から車で一時間半、中国山地に分け入った地です。帝釈峡(たいしゃくきょう)という石灰岩の断崖絶壁で有名で、岩登りのメッカとして知られています。

実は海から遠く離れたこの地に、福山沖に浮かぶ走島(はしりじま)の小学生たちが木を植えているのです。走島は瀬戸内海の鯛網漁で有名な漁業の島です。

ところが近年、全く漁が振るわず、島からどんどん若者が離れ、過疎化が進んでいるそうです。


福山市に日本を代表する製鉄会社が移転してきて、工業用水を取水するため、瀬戸内海に注ぐ芦田川に河口堰を建設したのです。

翌年からパッタリと鯛が取れなくなりました。鯛ばかりではありません。小型のエビ類「アミ」が全くいなくなったそうです。

大雨の時だけ堰は開けられます。この運用が問題でした。腐ったヘドロと一緒に、汚れた水が海に流れてくるのです。


福山市や製鉄会社に掛け合っても埒(らち)が明かないそうです。この町では、製鉄関連で働く人は三万人にも上り、典型的な企業城下町なのです。

三年前、走島小学校の校長先生が「漁師さんの森づくり」というカキじいさんの書いた本を読み、子供たちに伝えたそうです。

森と川と海は繋がっていることを知った子供たちが、芦田川上流に木を植えたいと言い出したのです。

上流の神石町には、廃校となった小学校をリニューアルした宿泊施設を中心とした野外活動センターがあります。その責任者が小学校の校長先生経験者だったことから話がトントン進み、海の子供たちが植樹を始めたのです。

スローガンは「山は海のともだち」。

三年前、広島ホームテレビが活動を取り上げ放映したのです。そのテレビにカキじいさんのインタビューも加わっていたそうです(取材があったのを忘れていました(笑))。


広島県は「瀬戸内“海の道”構想を打ち出しており、瀬戸内海の魅力アップに取り組んでいます。しかし、走島のように、どこに行っても海はお魚や貝が取れなくなっているのです。

瀬戸内海は単位面積当たりで世界一海産物の獲れる海であることを、広島大学の長沼毅先生から教えられていました。

それは中国山地の地質が鉄分に富み(昔はたたら製鉄を行っていましたね)、森林の腐植土とマッチングして、たくさんの川を通じてフルボ酸鉄が供給されているからなのです。

海の道構想を進めるとき、背景の山地を取り込んだ構想にしなければと、やっと県も気が付いたようです。

そこで森川海の繋がりを勉強する会を神石町で開催することになり、テレビに映っていたカキじいさんに講演を、ということになったわけです。


小中学生と大人に二日間にわたってお話をしました。走島からも漁師さん、そしてお母さんたちが三十人も来られました。

強風にも負けず、大人も子供も一緒にクヌギの苗木を千本植えました。

「鯛の森」といったところでしょうか。


広島県の行政関係者、県会議員も熱心に話を聞いてくれました。

いずれ製鉄会社にも鉄の科学を理解してもらい、海への配慮をお願いすると語ってくださいました。


廃校をリニューアルした宿舎(教室)に一人泊まりました。すると、書棚にはカキじいさんの著書が並んでいるではありませんか!?

早く「鉄は魔法つかい」を出版しなきゃ!と、急に焦り出しました。



「お原稿は、、、!」と迫る編集者の顔がちらついて、その夜はなかなか眠れませんでした。

畠山重篤


大島瀬戸の狭間に室根山を望み、今日も一日が暮れてゆきます。

(大島瀬戸の夕景、右に舞根、左に大島)



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漁師さんの森づくり -森は海の恋人-

漁師さんの森づくり -森は海の恋人-