2012/07/11『栗の木ば伐る、ということ』

裏山の高いどごさ拓いて、養殖や出荷で使うでっかい冷蔵庫だの綱だの置ぐどごと、皆が住む家ば何軒か建でんだって木ば切って来た。

復興サポーターズの皆さんに手伝ってもらって、木ば片付けで、一昨日やっと山の造成ば始まった。谷を埋めで平らにして、広ぐすれば、皆の車も楽に入れるし、ああ、早ぐ家ば建でたい。仮設ば早ぐ出て、皆して住むべし。

ほんとにそう思ってるんだ、、、。

んでもね、こごの栗の木だどが柿の木だどが、わだし達が小せえ頃に、実を背の小せえ子供達さもいっぱい採らせべって、親父やじいちゃんが段々畑にして植えでけだ木なんだ。

親父(カキじいさん)は「古くて実もなんなぐなったがら、切ってけらいん」って人さ頼むんだげんとも、おら、何だもない気持ぢになってしまうんだでば。兄弟して登った木だもの。


まあ、んでも、こごがでぎだ後、皆の子どもだの孫だのが木さ登って、栗だの柿だのアゲビだのを採って食えるように、まだ皆の家の周りさ栗やら柿やらいっぱい植えでけっかな。

んだ、そうすっぺ、そうすっぺし。

この木は明日俺が自分で伐っから、残しといでけらいんよ。栗は腐んねえがら、新しい桟橋さ使ってやんだがら。

さあ、ヒグラシば鳴いでるがら帰っかなあ。