わずかに出荷を始めた牡蠣を出発間際のトラックに乗せるため、気仙沼の運送会社まで届けに行く道すがら。アクセルを緩めて、「今日も舞根のひとだぢと、かぎ、いっぺえ剥いだよ、おばあちゃん、、、。」と毎日の報告。津波にのまれた河口の介護施設は、今もあの日のまま。

6月には未だ一円玉ほどの大きさだった牡蠣も、今は私の手のひらの半分ほどに。一度剥いたらフタが閉まらないほど窮屈そうにその身を殻に閉じ込めて、例年の倍の速さで育つ津波の後の牡蠣。負けてられない。気仙沼、唐桑。http://mizuyama-oyster-farm.com/

今、この湾で漁師達が目指すサイクル。津波で枯れかけた杉、檜を山から切り出し、製材し、教わりながら組み上げて工場や家を建てる。放置林に手が入って森が息吹を取戻し、川を甦らせ、海を育み、再び海に漕ぎ出せる。人と自然環境の復興は車の両輪。

第十五回「大工の飲み口」『醸し人 九平次』(名古屋市(株)社萬乗醸造)、、、水山養殖場「復興サポーターズ」の方から頂いた一本。んっ、蔵で樽から直接呑んでる感じの「元気な酒」やねえ。聞けば20代の若者たちが創りだす、海外でも人気の酒だとか。『EAU DU DÉSIR』(希望の水)か。勢いって、ええなぁ、、、。